パネライはダサいのかカッコいいのか?
パネライのルミノールという少々野暮ったい見た目の腕時計を見た時、正直衝撃が走った。
なんでこんな丸くてコロコロしてて、シャープさなんて微塵も感じられない腕時計がこんなに高いんだろうと。
そこから僕のパネライへの興味というものが始まり、今ではすっかりルミノールの虜になっている。
確かに時計そのものを見るとなんともカッコいいというよりはかわいいを体現した腕時計としか言えない感じではあるのだが、ケースの丸みやインデックスのフォントの可愛さ、さらにドーム型の風防がさらなる球体感を醸し出していて、大人の男がする腕時計じゃない、と感じてしまうほどのフェミニンさを滲み出している。
だがしかし、どういうわけか、その存在が気になる。
腕につけた画像を見ると存在感があるから、時計そのものが女性らしいカーブを描いていてもそこはガッツリと男らしさをその空間全体から醸し出している。
ルミノールの良さはシンプルに分析してみるとその無駄なものを排除したシンプルさにあるとも言えるのではないだろうか。
パネライのどこがカッコいい?
と聞かれることは確かに結構あるのだが、このイタリアンなセンスは時代が到達して初めてわかる世界観であることが多く、言葉で表現出来ない部分を視覚で訴えることに関してはイタリアに右に出る国はない。
単純なデザインで、一見壁掛け時計や目覚まし時計を小さくしたようにしか見えなくもない。
しかしその分、デザインの複雑さに惑わされない分、素材や雰囲気の良さが重要となってくるわけだ。
例えばA4用紙が一枚テーブルの上にあったとしよう。
文字や絵など何も書かれていない紙が一枚。
そうなると目につくのは紙の質感や材質。
高級な和紙であれば、何も書かないという引き算的なアプローチがその和紙の良さを一番目立たせるわけだ。
しきりのついたラーメン屋で集中して食べるようなものだろうか。
パネライのルミノールという時計はそういう存在なのである。
ルミノールには確かにツッコミたいところが数知れずある。
ルーフの三角形が四角形に拡張されたようなケースにゴツすぎて手の甲に邪魔になりそうなリューズガード、ださかわいい文字盤、全体的に無駄に存在感を主張するしつこさがこのモデルのツッコミたいポイント。
しかし、それこそがパネライのルミノールをルミノールたらしめる点であり、「短所は最大の長所」にもなり得るというところをこれでもかと見せつけてくれた初めての腕時計がパネライというフィレンツェで生まれた時計メーカーなのだ。
断言する、僕はパネライに飽きることはないだろうと。
というわけで、パネライのルミノール、ダサいのかカッコいいのかという議論がある中で、僕が言えることはルミノールはその両方を兼ね備えているということ。
それゆえに脳が混乱している感覚がある。
例えるなら、チョコレートがかかったポテチを食べる感じ。
甘いのか塩味なのか、ああいうタイプのお菓子にハマる感覚はルミノールにハマるそれと似ているかもしれない。
僕自身チョコレートがかかったポテチや柿の種は好きではないが、真逆の何かのせいで脳が混乱する感覚ならルミノールで経験済みだ。
そういった全体像で判断すると、ルミノールはその野暮ったさにカッコよさがあり、そこに良さを見出したパネライは天才的だと言える。
1860年に誕生して160年以上が経過してても尚、飽きないデザインを放つばかりか、いまだに理解が追いついてない部分があるからだ。
ジェラルド・ジェンタが1970年ごろにデザインしたオーデマピゲのロイヤルオークやパテックフィリップのノーチラスは近年になってようやく評価が最大化されてきている。
そういう点でいうとパネライという時計メーカーはジェラルドジェンタを超える天才なのではないかと思える。
近年色々なものが近未来的になっているが、ルミノールもその曲線や文字盤のフォントなどから同じような雰囲気を感じさせる。
アップルウォッチやアイクポッドなどを思わせたりもする。
パネライは本当にすごい時計だと思う。
こんなに人を惹きつける時計は滅多にない。
おしゃれに楽しみたいならドゥエ
パネライの腕時計はデカ厚であることが売りの腕時計だが、少々大きすぎるという感覚もあるといえばある。
僕はそれが好きなのだが。
僕はこのサイズ感がパネライをパネライたらしめるアイデンティティとなっているので、その辺りに関しては大丈夫というかむしろ歓迎的であるが、パネライの人気が高まるにつれ、やはりいろんな細かな要望が湧き出してくるのも事実である。
ルミノールという基本デザインは好きだけど、少し大きすぎる、重すぎる、ぶつけてしまうからもう一回り小さいのが欲しいなんていう要望も当然のように生まれてくる。
機械時計ブームとともにルミノールの知名度は一気に広がった。
そうなるとやはりルミノールのあの風貌やスタイルに惹かれる人も大勢いるわけで、中には女性のファンもいるかもしれない。
いや、いる。
敢えてデカウォッチを着用するというファッションが数年前に流行っていたし、実際女性がルミノールをつけているのを見たことがある。
ルミノール 薄型モデル ドゥエ
最近では文字盤やレザーベルトをお洒落なものにしたり、ドゥエと呼ばれる薄型ルミノールを生み出しているのもそういったニーズに応えたものであると推察される。
パネライの腕時計は特にルミノールに関しては中性的なデザインであるため性別を問わない感じがあるから、パステルカラーのようなレザーストラップだと余計に男女兼用感はある。
日本人の腕や手首も欧米人に比べてかなり細いから、パネライの腕時計ともなるとキャシャーンな男性なら小ぶりが良かったりするのだろう。
実はハリウッドスターにルミノールをこよなく愛する男がいる。
その名はシルべスタースタローン。
筋肉ムキムキで腕の太さなんか僕の脚くらいなんじゃないかと思えるくらい逞しい俳優だが、彼が身につけているルミノールは44ミリなのに一般男性が女性用の、例えばルキアを着用しているかのようなサイズ感で、なかなか面白い。
彼くらいの腕になるとガガミラノくらいのサイズがちょうど良いのかもしれないが、僕たちアジア人にはルミノールは40ミリ前後がちょうどいい。
ただ44ミリのルミノールを着用する意義というものも僕はあると思っていて、腕元をきらりというかドカンと主張したい人には44ミリは確かにもってこいなサイズだと思う。
シルベスタースタローンの腕と腕時計のサイズ比とは逆になるんですが、細い腕にこれでもかと存在感を際立たせるという楽しみ方も十分にあるのではないかと思う。
ルミノール自体がイタリアンなアイテムなので、主張という面では正しい選び方なのだ。
腕が太いから44ミリという選択がナチュラルだが、腕が細いからコントラストを楽しむという意味での44ミリもあり。
その分ファッションはシンプルにするべきではあると思う。
話が脱線してしまったが、腕時計の好みというのは、デザインそのものよりもつけた時の感覚とか見た感じとかも含まれるので、ルミノールに関しては同じようなデザインが多いので実際に着用してみてみるのが一番良い。
小さいといっても通常40ミリモデルに対しての38ミリという数値の違いだが。
といってもこの2ミリは実際とても大きい。
2ミリの違いをここで解説。
40ミリに対する2ミリというと、割合でいうと5パーセント。
身長180センチに対する5パーセントは9センチ。
171センチと180センチだと、全く異なった印象を持つことになる。
という感じなので、ルミノールに限っては実際に着用してサイズ感を確かめてみることをおすすめする。
まとめ
まとめるとパネライがパネライなのは、あの野暮ったい丸っこいデカ厚の風体があるからパネライであるわけで、そこが言葉に出来ないかっこよさを醸し出しているのだ。
確かにそれを受け付けないという人はいるだろう。
それもわかる。
そういった人に向けた薄型でちょっと小洒落た雰囲気にしたのがドゥエであり、ドゥエにはあらゆるバリエーションが用意されていてこれまでになかった客層を掴んでいる。
素材にもゴールドをしようしたり文字盤やストラップに色が使われたりと、オーソドックスなパネリストからすれば邪道なのかもしれないが、パネライが元祖のままでは生存出来ないのであればそれはそれでやむなしといったところかもしれない。
僕としてはやはりパネライはオリジナルのチョイダサくらいのモデルが一番かっこいいし大好きなのであるが、薄型が好まれるという理由もよくわかる。
その辺りは個人の判断に任せるとして、今回の最大のテーマであったダサいのかかっこいいのかという点に関しては、最終的に行き着く結論としてカッコいいという事である。
その過程を評価するのであれば回り道をしたのちに行き着いた最高の腕時計といったよく分からない修飾語を与える感じであるが、個人的にはそういった表現がしっくりくるのである。