ジェラルド・ジェンタ氏がデザインした腕時計
ジェラルド・ジェンタといえば時計界ではもはやスーパースターでありレジェンドであり、とにかく説明するのが不可能なくらい時計界に非常に大きなインパクトを与えたデザイナーである。
1931年5月1日スイスのジュネーブでイタリア系移民の両親の元に生まれた。
15歳の頃からジュエラーとして宝石などを取り扱う仕事をしていたみたいだが、23歳になる頃からデザイナーへと転身し、その後腕時計のデザインなどを以下紹介するメーカーなどから委託されていたわけだが、今じゃ世界一の腕時計とも言われるパテックフィリップのノーチラスや、それに次ぐオーデマピゲのロイヤルオークなどを手掛けていることで世界一の時計デザイナーという称号も得ている。
ジェラルド・ジェンタ氏のデザインはデザイン後じわじわと時間をかけて評価されていった節があり、ロイヤルオークなんかはデザイン後すでに半世紀が経過している。
今のような高い価値が最近になって出てきたのも、デザインが認められるようになったのが今世紀に入ってからなのかもしれないという可能性を考えると、時代を先取りしすぎていた天才だということも言えよう。
時計界のピカソとも言われるジェラルド・ジェンタ氏であるが、天才に共通するポイントをいくつも持っているようである。
ただ彼が評価されたのが生前だったということはファンとしては嬉しい限りである。
さて、ではジェラルド・ジェンタ氏がどのような腕時計をデザインしていたのかを見てみることにしよう。
パテックフィリップ ノーチラス 1976年(45歳)
オーデマピゲ ロイヤルオーク 1972年(41歳)
ブルガリ ジェラルド・ジェンタコレクション(後のオクト)
オメガ コンステレーション 1962年(31歳)
IWC インヂュニアSL 1976年(45歳)
IWC ダヴィンチ
IWC ポロクラブ、 IWC ゴルフクラブ、 IWC ヨットクラブⅡ
ブルガリ ローマ(後のブルガリブルガリ) 1976年(45歳)
セイコー クレドール 1970年代後半
パテックフィリップ ノーチラス 1976年(45歳)
順不同に紹介しているわけだが、やはり最初に紹介するべきなのはパテクックフィリップのノーチラスであろうか。
デザイナーとして出発して20年あまりが経過した頃に手がけた最高傑作がパテックフィリップのノーチラスであり、ロイヤルオークと並んで最高のデザインと称されることも多いが、僕自身完全に同意だ。
ロイヤルオークかノーチラスか、どちらがいいかもはや判断は個人の主観に委ねられるわけだが、個人的にノーチラスの方が大人っぽくて好きである。
しかし両者甲乙付け難い素晴らしいデザインであり、後述するがどちらもジェラルド・ジェンタ氏の遺伝子が受け継がれた素晴らしいオクタゴンであると言える。
ジェラルド・ジェンタ自身、ノーチラスとロイヤルオークが自身の最高傑作だと思っていたようで、のちにこれらのデザインを超えたものを生み出そうとしていたようであった。
今後おそらくはこれらのデザインを超えるものは今の時代感覚ではまだ難しいのかなといった印象である。

オーデマピゲ ロイヤルオーク 1972年(41歳)
ノーチラスよりも4年前にデザインされ発表されたのがロイヤルオークで、順序的にはこちらの方が先である。
上記の記事でも書いているのだが、ノーチラスに比べより角張ったデザインであるのが特徴的。
ブレスリンクの数も多くその分線や面が多い分多角形がより目立つようであるが、これが好きな人はかなり多い。
僕自身ロイヤルオークの機械的で血が通ってない無機質なスタイルが好きで、よくこのようなデザインを思いついたものだと感心するばかりである。
ロイヤルオークに比べると、ノーチラスが若干普通に見えるわけで、どちらも異質なデザインではあるのだが比較するとロイヤルオークの前衛的なスタイルは誕生半世紀が経過しても健在である。
これらのデザインに共通するのはラグがない点である。
ジェラルド・ジェンタ氏のデザインは総じてラグがないか、あっても極端に短い物ばかりであり、これは彼が意図的にしていたことなのだ。
人間工学を非常に重要視したデザインを心掛けていたようで、薄型の腕時計でスーツにやワイシャツに引っかからない実用的な腕時計をフィット感よく設計するというのが彼の持ち味でありモットーであった。
元々ジュエリー業界にいたこともあってか、アクセサリーベースの時計といったコンセプトも彼が常に思い描いていたことである。
ノーチラスやロイヤルオークに限らず、彼のデザインがブレスレットのような作品に仕上がっているのはそういった彼の哲学があったからだ。
ぱっと見の外観は違えど口に出せない共通点を感じることが出来るのは、感覚的にそのコンセプトに気づかせるデザインをしているからだろう。
ブルガリ ジェラルド・ジェンタコレクション(後のオクト)
ブルガリのオクトもそういったコンセプトに沿ったジェラルド・ジェンタそのもののデザインである。
ノーチラスとロイヤルオークと違う点はラグがあることくらいだろうか。
もちろん全体的なデザインは異なるが、抽象的に捉えた場合の共通項というものはとても類似しているのである。
唯一大きく違うのがラグの存在であるが、上述したようにラグはあっても極端に短いのが彼の作品の特徴でもある。
あるのかないのか、短かすぎてブレスの一部になっているのか、ブレスがケースの一部になっているのか、そんな悩ましいデザインが彼の作品の特徴であるが、あらゆる芸能人がブルガリのオクトを愛用していることを考えると、やはり彼のデザインには先見性があったと言えるだろう。


オメガ コンステレーション 1962年(31歳)
Cラインケースと呼ばれるデザインをご存知だろうか。
卵型の縦型の楕円のような形状をしているのが、先ほど述べたジェラルド・ジェンタ氏が好んだ特徴を見れば彼のデザインであることが窺える。
そう、ラグが極端に短い点と薄型時計を好んだ彼がベゼルを低くデザインした点である。
装着感という人間工学と薄型という実用性を考慮したデザインが60年代前半にオメガから登場したわけだが、このタイプのデザインはあらゆるメーカーに幅広く影響を与えていたそうだ。
最初コンステレーションに採用されたCライン卵ケースは後にシーマスターにも採用されることになったわけだが、1969年ごろに登場したスピードマスターマーク2のデザインもジェラルド・ジェンタ氏が手がけていそうな雰囲気を持っている。
しかしスピードマスターマーク2に関してはそうであるという記述はないので定かではないが、仮に他の誰かがデザインしていたとしてもジェラルド・ジェンタ氏の影響を受けていることは確かである。
IWC インヂュニアSL 1976年(45歳)
間違いなく彼の作品である。
ジェラルド・ジェンタ氏の特徴を備えているというよりかは、ロイヤルオークに酷似しているため誰がどう見ても同じデザイナーだということがよくわかる作品だ。
IWCのインヂュニアをデザインした時の彼は45歳、ノーチラスをデザインしたのと同時期のことであるが、ロイヤルオークに似せたスタイルの腕時計をデザインしたのは自身の作品への挑戦だったのではないかと思われる。
上述したが、ジェラルド・ジェンタ氏は自身の作品の中でもノーチラスとロイヤルオークが最高傑作だと思っていたようで、ノーチラスという新しいデザインしたばかりの頃同時にロイヤルオークへの想いも膨らませていたのではないかと想像出来る。
面白いことに、インヂュニアのデザインはケースやベゼルはロイヤルオークなのだが、ブレスレットはノーチラスのデザインを丸コピしている点だ。
厳密に言えば全く同じではないし、自身デザインなのでコピーではないのだが、両者の特徴ある部分を引っ付けたデザインをしている。
自身の過去のデザインにどこか未練めいたものを感じているようにも思える。
IWC ダヴィンチ
ダヴィンチの円形時計は僕が一番最初の最初に好きになったスイスの腕時計なのだが、やはりこれもラグがない。
円形ケースの上下中央に取手があってそれらにブレスレットの先端金具がひっついているという通常の腕時計の逆の構造をしている。
ケースこそ丸いものの、ラグの部分に以下にこだわりを見せているのかがよくわかるデザインである。
通常丸い腕時計というものはケースがあって、流れるようなラグが、ポン付けの直線的なラグが2本備え付けられている形状をしているが、ジェラルド・ジェンタ氏のデザインは総じてそれを否定している。
決してラグに存在、もしくは存在感を与えないのである。
IWC ポロクラブ、 IWC ゴルフクラブ、 IWC ヨットクラブⅡ
ポロクラブ
ゴルフクラブ
ヨットクラブⅡ
IWCの現存するシリーズではインヂュニア、ダヴィンチの元祖的デザインを手がけているが、今では存在しないポロクラブ、ゴルフクラブ、ヨットクラブIIのデザインを担当していたこともある。
デザインを見れば一目瞭然彼の作品であることがよくわかるはずだ。
ヨットクラブという名はポルトギーゼに移植され、派生モデルとして存在しているがそこはポルトギーゼ、デザイン面でジェラルド・ジェンタ氏を感じることはない。
ブルガリ ローマ(後のブルガリブルガリ) 1976年(45歳)
円形モデルをもう一本。
一点大きく異なるのがラグが存在することである。
基本的なデザインが丸々使われているようであるが、それだけこだわりがあったことの裏返しであろうがラグが存在することでとても大きな違いを生み出しているように思う。
短いラグだが、それでもラグを生やしている点でダヴィンチと大きくデザインが異なる。
これだけの違いで与える印象がすごく違うわけであるが、ラグが短いのはやはり彼の考え方のベースにあることなのだろう。
セイコー クレドール 1970年代後半
1970年代後半、セイコーはジェラルド・ジェンタ氏にデザインを依頼している。
クレドールのデザインを見てはっとした人もいらっしゃるのではないだろうか。
紛れもなくこれはロイヤルオークであるが、若干の違いはあれどやはりこれはロイヤルオークである。
ケースの形状が若干やせ細り、円形デザインの時計のように上下にブレス用の取手が引っ付いているところ以外はロイヤルオークだ。
これがセイコーのクレドールのデザインであったのだが、セイコーはジェラルド・ジェンタ氏に数多くのデザインを依頼している。
彼自身あまり多くを語らない人物であったためどのモデルがジェラルドデザインなのかは断言できないが、デザインは嘘をつかない。
彼のデザイン哲学を考えれば大体の予想はついてくるのではないだろうか。
ジェラルド・ジェンタの影響を受けたデザイン
ヴァシュロン・コンスタンタン 222(後のオーヴァーシーズ)
ジェラルド・ジェンタ氏と同じデザイナーであり、個人的にも親交が厚かったヨルグ・イゼック氏であるが、彼はロレックスやヴァシュロン・コンスタンタンのデザイナーをしていた。
ジェラルド・ジェンタと交流もあったせいだろうか、1975年に発表されたヴァシュロン・コンスタンタンの創設222年を記念する「222」というモデルは明らかにジェラルド・ジェンタ氏の影響を受けていると思われる。
1977年という時代背景的にもそうであるし、何より当人同士が交流しているのである。
ロイヤルオークが誕生したのが1972年、ノーチラスが誕生したのが1976年であるし、あらゆる人物が彼の影響を受けてデザインを手掛けていったのは予想するに難くない。
ジェラルド・ジェンタの影響を受けたであろうデザイン(予想)
カルティエ パシャ
カルティエのパシャもIWCのダヴィンチと非常によく似ている。
丸いケースの上下に取手。
ラグを出来る限り排除する彼の終生のデザイン哲学と酷似しているが、これは自身も公言していたようにジェラルド・ジェンタの作品ではない。
明らかに影響を受けたスタイルだと言えるし、カルティエのパシャがジェラルド・ジェンタのデザインだと思っている人はいまだに多いようであるが、実際はそうではない。
ジラール・ペルゴ ロレアート 1975年
ジラールペルゴのロレアートが誕生したのがこれまた1975年という完全にジェラルド・ジェンタの全盛期とかぶっている。
なんとなくジェラルド・ジェンタデザインに似ているが、丸々コピーということでもない。
問題は現代のロレアートである。
ロレアートはロイヤルオークと間違える人も多く、その理由としてケースの形状の他に文字盤のタペストリー模様が挙げらるわけだが、2016年にリバイバルしたロレアートのデザインはロイヤルオークのケースとノーチラスのブレスを混ぜたものである。
ジェラルド・ジェンタ自身がIWCのインヂュニアに施したデザインであるが、現代のロレアートはそれと酷似している。
オメガ スピードマスターマーク2
上述したが、オメガのスピードマスターマーク2のラグがなくちょっと卵っぽい形状をしているところなんかはしジェラルド・ジェンタが好きそうなデザインである。
1969年に誕生したスピードマスターの派生モデルであるが、時代的にもジェラルドの影響を受けている可能性がある。
まとめ
まとめると、ジェラルド・ジェンタ氏のデザインは基本的には実用性を最重要視した機能美を追求した結果となっているということであろう。
腕にフィットする薄型の腕時計をアクセサリーの延長としてデザインするというのが彼の哲学を言葉にしたものである。
装着感を上げるためにラグをなくした、もしくはラグを目一杯短くした薄型時計と言われればノーチラスもロイヤルオークもそのほかのモデルもはっとすることであろう。
単に多角形を使用したのがジェラルド・ジェンタ氏のデザインというわけではなく、形状はむしろ二の次であったということが生涯のデザインを通して見て取れる。
彼が追及した本質というのは、見た目よりも装着感やスーツ着用でも使い易いという機能美を求めた人間工学に基づいたものなのである。
であるとすると、多角形ばかりが目立っていたところに円形のデザインも彼の作品だったという驚きは格別に生まれないのであるが、どうしてもデザインというものは視覚的なものばかりを追い求めやすいので概して彼のデザインの共通点を外観のみから見出そうする。
しかし実はそのデザインの真髄は内包する使いやすさという一言に収束するということが彼が求めた究極の美だったようである。
確かにノーチラスもロイヤルオークもイメージに反して薄い。
形状的になぜかちょっとごつめの腕時計を想像していたこともあるが、実際は非常に収まりが良いデザインになっている。
彼のデザインには外観の美しさが目立つあまり内面の良さに気づけないというデメリットがある気がするが、物事の本質というものはいずれわかるものである。
現代彼のデザインがここまで評価されているのは、その本質の素晴らしさに世界が気付いたからなのかもしれない。