ノーチラス vs ロイヤルオーク
パテックフィリップのノーチラスといえば泣く子がもっと泣くような破壊力を持った腕時計である。
ここでいう破壊力とは人気である。
パテックのノーチラスの人気は腕時計が好きな人なら十分にご存知だと思う。
このブログでも何度もお話ししているが、ノーチラスで豪邸が買えてしまうくらいの値段にまで価値が跳ね上がっているのである。
例えばゴールドのブレスレットタイプのRef.5711は5000万円の価格で取引されており、一億円の大台に乗るのも時間の問題であると言える。
通常の一般カタログモデルがこのような価格高騰を見せることは過去に例を見なかったのではないだろうか。
もちろんカタログ落ちと呼ばれる現行での製造が終わるモデルにプレミア価格がついてくるという現象はパテックフィリップやオーデマピゲ、ロレックスなどには当然のようにあった。
しかしここまでの桁を超えるような値がつくという現象は明らかにインフレ率を何倍も超えていると言わざるを得ない。
パテックフィリップ ノーチラス
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パテックフィリップ ノーチラス トラベルタイム クロノグラフ Ref.5990系の一覧、価格、在庫などの最新情報はこちら>>
オーデマピゲ ロイヤルオーク
何度も言及している通り、投資という側面が正面になった結果であり、その結果が現在も進行中というプロセスになっているのである。
この人気がどこまで続くのかは分からないが、一度結果となったプロセスが今後またどんな結果を見せるのか楽しみである。
さて、ついでロイヤルオークについてはどうだろうか。
ロイヤルオークにもノーチラスにも違いはない。
世界的に超超超人気のノーチラスの後を追うロイヤルオークの人気であるが、超超超人気のノーチラスと超超人気のロイヤルオークは超が一個違うくらいでこれまで歩んできた道もこれから見せるであろう動向もさしては変わらないのである。
歴史があり、技術もデザイン性もカリスマ性も十分すぎるほどに備わった両ブランドを代表するノーチラスとロイヤルオークはどちらが人気ナンバーワンの座を獲っていてもおかしくないのである。
あらゆる面で共通点があり、歴史や世界の情勢によってはロイヤルオークがノーチラスのような存在になっていたかもしれないのである。
両ブランドの共通する大きな部分として一つ挙げられるのがどちらも1970年代にジェラルド・ジェンタ氏によってデザインされ誕生したことである。
1972年 オーデマピゲ ロイヤルオーク
1976年 パテックフィリップ ノーチラス
どちらも現在のモデルと驚くほど変化がない。
この場合、変化がない理由は過去ではなく現在側の方に理由があるので、過去のデザインをずっと踏襲し続けているということであるのだが、時代を感じさせるようなデイトのフォントなどを除くと、現代でも全くもって違和感がないことお気づきになるだろう。
価値が落ちない = 希少性やインフレなどによる価値の上昇、が起こるわけだがデザインが変わらないことへのメリットは実はかなり大きい。
人気モデルが世代交代しても外観に大きな変化がないのであれば、旧型モデルの人気も下がりにくいのである。
「新型とどこが違うの?似てるしわざわざ買い替えなくても、こっちでも問題ないよ」
という現象が起こるのである。
それに加え、腕時計の性質上、中の機械を最新にする必要がない。
すでにきちんと遅れや進みがなく動いている場合は最新技術の詰め込み用がなく、買うとなれば買い増しというコレクション性や服装によって付け替えたりするファッション性を帯びてくることになる。
外観があまり変わらず、完成しきったムーブメントも旧型だからといって性能が劣っているわけではない。
必要なのはメンテナンスだけであって、それは新型モデルにも共通することであり、旧型モデルの価値が落ちない傾向にある。
リセールバリューが高く維持され、高く維持された旧型にも人気が集中してくるのである。
ポルシェの911が良い例である。
もちろん当然の帰結として、そういったブランドはクオリティの面でもデザイン性に関しても一級品でなければならない。
人気の裏付けとして、人気を集めるだけの『裏付け』がないといけないのは言うまでもない。
今回テーマとしてるノーチラスとロイヤルオークのデザイン性には大きな基礎的なデザインの違いはあるが、逆に一貫した共通項も存在するのである。
両モデルが同じデザイナーが生み出した作品であることが窺えるのはある種の根幹となる哲学がそこにあるからではないだろうか。
ノーチラスとロイヤルオークの両者を比較した動画であるが、内容を理解する必要はない。
デザインの違いと共通する部分をご自身で比較するだけで良いと思う。
ノーチラスとロイヤルオークの大きな違いとして、カーブとエッジという大枠が挙げられる。
ケースやベゼル、ブレスコマやブレスコマをつなぐブレスリンク、クル・ド・パリのような文字盤に至るまで、全てが角角しいロイヤルオークに対し、ノーチラスは全てが曲線的である。
完全に円形ではないにしてもベゼルの形状が丸みを帯びた八角形になっていて、後述するがここがロイヤルオークとの共通点である。
パーツ一つ一つと全体像がカーブとエッジ両者それぞれの特徴を備えていて、ミクロ的に見てもマクロ的に見ても違和感なく調和が保たれているのである。
ラグジュアリースポーツの基礎を築いたジェラルドジェンタ氏のデザインの特徴を大きく挙げるならば、
多角形のベゼルおよびケース、ケースからラグ・ラグからブレスへと一連の流れが生まれていて、ラグのない腕時計だと言われることがよくある。
ラバーストラップではなく同じくステンレス素材のブレスレットが装備されているのであるが、ブレスコマへの独特のデザインからもブレスレットは込みでジェラルドジェンタの作品なのである。
角々しいデザインと曲線的なデザインという大きなフレームで見た場合、両者は対極的な存在である気がするが、細かな一つ一つのデザインやラグジュアリースポーツの原型ともなる哲学的特徴を見てみるならば、両者には強い結びつきが感じられるはずである。
まとめ・結論
こういった比較記事でよくある結論として、どちらが良いか結局決められず、最終的判断を読者に委ねるといったことが散見されるが、今回は僕も同じである。
強いていうならばノーチラスの方が若干好きなのではあるが、冒頭でもお話ししている通り、ロイヤルオークのエッジが効き過ぎといっても良いほど効いている機械的な無機質さもとても好きなのである。
気分によっては、、と言ったところであろうか。
敢えて自分を分析するなれば、小さな気持ちの変化が波のようにやってきてノーチラスが好きな時とロイヤルオークを愛でたい時と、それぞれが交互にやってくるのかもしれないが、離れて大きな視点で見てみるならば年齢を重ねるごとにノーチラスに振れて行くのかなという気がしている。
1972年にデザインされたエッジを活かしたロイヤルオークと、1976年誕生した曲線美を特徴としたノーチラス。
一貫したデザイナー哲学は感じるものの、曲線的である点と直線的である点は真逆のアプローチをとっている。
年齢を重ね、デザインから若さゆえの角が取れて内面に丸みを帯びたかのような、そんな人間の内面的成熟をデザインから感じることが出来る。
事実ノーチラスとロイヤルオークでは愛用している年齢層が若干違うような気がする。
ご推察の通り、ノーチラスの方が年齢層が高めだ。
ゆえにそれが価格にも反映しているのかもしれない。
もう一度まとめをさせてもらえるならば、ロイヤルオークとノーチラスの違いというのは、単に好みの問題という問題を超えて、人間が向かう先、行く先のプロセスを体現した存在が二つあるというだけのことなのかもしれない。
ジェラルドジェンタ氏は本当に芸術家として天才的存在なのだと改めて感じた。