ブルガリかカルティエか?
ロレックスかウブロか、パテックフィリップかオーデマゲか、ゼニスかIWCか、
そういった葛藤は確かにある。
これらのブランドは雰囲気もどことなく似ており、存在感や社会的地位つまりブランド力、そしてかっこよさや金額、それらが似通ったもの同士の比較であるわけだが、今回のテーマもまた難しい選択である。
こちらであらゆる比較をしているので興味がある対象の比較があればご参照いただきたい。
さてそんなわけでブルガリとカルティエであるが、ジュエリーとしてのブランドではここれら両者は似たようた性格を持ち、地位を確立しているような気がする一方で、こと腕時計となると全く別ものであるように感じるのだ。
確かに両者ともマニュファクチュールとして腕時計を専門に製造するブランドが確立されており、自社で生み出す腕時計はどのシリーズもスイスメーカー顔まけの力を手に入れているばかりか、腕時計を専門とするスイスメーカーに肉薄した状態でもある。
ブルガリもカルティエも非常に人気が高い腕時計ブランドであり、他のジュエリーメーカーの追随を許さないほど差を開けていると言えるだろう。
ファッションのハイブランドとして頂点に立つエルメスやルイヴィトンの腕時計はブルガリやカルティエには人気という面でも技術力という面でもまだまだ追いつけないだろうし、グッチやディオールに関してはもはや時計ラインが存在していることすら忘れられている感じである。
エルメスも時計作りに関してはかなり影が薄いし実際あまり人気モデルを持っていない。
それに比べると早くから腕時計へ関心を寄せ、技術や市場動向を研究していたブルガリとカルティエの両ブランドは現在時計好きをも唸らせるブランドにまで成長しているのである。
これらの両者にはそういった共通点がいくつも見受けられるわけだが、それぞれに全く違った表情を見せる特徴を備えているというのもまた事実である。
今日はそれらを感覚的に比べていこうと思う。
ブルガリ メンズ
カルティエ メンズ
ブルガリ 特徴
まずブルガリであるが、僕はこのブランドが大好きだ。
ジュエリーのブランドもセンスがあると感じるし、Bzero1などのリングは非常にかっこいい。
ちょっとだけインパクトのある特徴を備えているがそれをうまくラグジュアリーにまとめている感じが好きなのであるが、腕時計に関してはちょっと趣が違うのかアグレッシブに攻めているところにセンスを感じるのである。
基本ベースとなるのはジェラルドジェンタがデザインしたというオクトであるがこのシリーズはブルガリの根幹をなすモデルである。
シリーズ名の如く八角形のスタイルが非常にうまくラグジュアリスポーツを体現していながらも、どこにもない尖ったオーラを放っているところに好感が持てる。
ブルガリがオクトを投入したのは2012年であるがそれからオクトや派生シリーズのオクトローマは人気と知名度、そして高い需要を獲得していった。
現在では山下智久さん、Miyaviさん、などの著名なアンバサダーを迎え入れてゴージャスなブランドがなおも進化発展している感じであるが、ブルガリのすごいところはその表面的な名前だけではない。
腕時計に関しては完全マニュファクチュール化しており、自社で全てを製造するというスイスの高級メゾンのようなスタンスをとっているのだが、ブランド全体で薄型腕時計を製造することを理念としているだけあってその技術力は目を見張るものがある。
2mmを下回る自動巻きの腕時計を作る技術力を誇るわけだが、リシャールミルとの薄さバトルなどはもはや圧巻である。
地板がなく、輪列そのものが地板となったスタイルで薄さを実現しているのだが、40ミリとサイズ、5.95mmというケース厚に8デイズを詰め込んだモデルが存在するのには本当に驚いた。
つまりブルガリの大きな特徴はその薄さである。
どこよりも薄い腕時計を作り上げるオリジナルのテクノロジーを有し、その高い技術をブルガリとジェラルドジェンタが産んだ芸術性の高いケースにパッケージングするというのがブルガリのやり方であるが、
僕がブルガリの腕時計が好きな理由に、ジュエリーに頼ろうとしないという点が挙げられる。
ブルガリはオクトやオクトローマにたくさんの種類やバリエーションを持たせているが、ダイヤモンドや宝石を埋め込んで勝負しようとはしないのである。
あくまでも腕時計としてのブルガリで勝負しようという気構えが見受けられる。
ジュエリーブランドとして確立したブルガリであるが故にあえてその立場から脱却しようとしているのだろうと思う。
ジュエラーであることが逆に足枷にもなっている部分があるが、腕時計のブルガリは元々のブランドから切り離されたような感覚があって、カルティエもそうであるが、大元から独立しているかのような印象を与える。
そこが時計ブランドとして認められる第一の出発点なのだろうと思うが、ブルガリの腕時計は僕の感覚としては9割時計屋さんで1割がジュエラーという感じだ。
ほぼ時計屋さんとして存在している。
カルティエ 特徴
カルティエの特徴はなんだろうか。
カルティエもブルガリ同様マニュファクチュール化している。
つまり自社でムーブメントなどを含む製品をほぼ全て内製化できるようになっているのだが、生産性や拡張性の高い製造システムを備えているのである。
カルティエの腕時計はかなりの部分で内製化されていて、ムーブメントはもちろん、ケースやブレスレットの削り出し、針やインデックスの焼き上げ、ケーシング、時計を製造するあらゆる工程でカルティエ自社の目が光っている。
カルティエの腕時計の特徴といえばレールウェイトラックの文字盤と青く焼き上げられた鉄製の針とインデックスであるが、過去には針やインデックスなどは他の業者に外注していたそうだ。
現在ではあらゆる部品のあらゆる条件下での扱いがデータ化され管理が統制されているのだが、一貫してカルティエ製造であるということにこだわりを持ったマニュファクチュールとなっているのである。
この辺の品質管理は写真撮影もあまり許されないほど厳重に機密事項になっており、ロレックスほどではないが似たような仕組みを作っているのだろうと推測したわけだが、新たな実験的な工場を持つなどして時計作りに大変に意欲的なブランドになっているのである。
ジュエリーとしての印象も強いカルティエであるが、時計作りへのこだわりは時が経つにつれどんどんとその色を濃くしている印象だが、腕時計の完成度は確かに高いようである。
カルティエの腕時計は技術力を誇るというよりは、時計製造の基本的な部分を丁寧に仕上げることで時計全体の価値を底上げしようという狙いがあり、その分をこれまでの「カルティエ」で包み込むといった戦略をとっているように感じる。
つまりカルティエの腕時計のイメージは8割が時計屋さんで2割がジュエラーといった印象である。
僕個人の意見ではあるが。
まとめ
まとめると、ブルガリにはより高い技術力が備わっているような感じであろうか。
ありえないくらい薄い腕時計を作ったかと思えば、その中にトゥールビヨンを搭載したりするという高いテクノロジーを持っているのがブルガリであり、イタリアンなおしゃれなデザインでそれらをオクト化しているのが彼らのやり方である。
ジェラルドジェンタ氏はスイス生まれでのデザイナーであるがイタリア人の両親の元に生まれているのでやはりオクトにはその遺伝子が流れている。
高い技術力を内包し、ジェラルドジェンタ氏とブルガリの哲学が融合した妖艶に仕上がった作品がブルガリが持つ持ち味であるが、上述した時計屋さんとしての技術のみならず、イタリア人が持つ官能的なオーラもブルガリは纏っているのである。
一方カルティエの武器はその安定的なクオリティにあると言える。
ジュエラーとしての価値も武器とするカルティエの腕時計ではあるが、蓋を開ければ質実剛健。
高級な装飾品としての意味を持ちながらもジュエリーとしてのカルティエとは一線を画した存在となっている。
ジュエリーの延長としてブランドを構築するわけではなく、腕時計としての品質にこだわりにこだわるクオリティファーストなブランドであることは彼らの腕時計に対する姿勢を見れば一目瞭然であり、タイプ的には派手な遊び心を持たない代わりに基本をずっと突き詰め続けるロレックスのような存在に近いと僕は思っている。
そういった面で言うとあらゆる国の人々が関わる多国籍企業である両社であるが、国民性というものを社全体で受け継いでいるのだろうということが言えるのであるが、両社に共通して言えるのはベクトルは少々違えどどちらも腕時計としての価値には相当に気を使っているということである。
ゴールドや素材を扱う技術は一級品であるが、決してそれらをメインの武器とすることはなくあくまでもクオリティ重視の腕時計のパッケージングとしての、援護射撃としてそれらを利用している姿勢がその共通項であるのだが、それを逆にした時計メーカーは軒並み時計としての価値は伸び悩んでいるように思う。
時計は時計、ジュエリーとしての時計はやはり求められていないという市場のニーズに真摯に向き合った結果なのではないかと言える。
個人的にはブルガリのオクトが好きなのであるが、同等に好きなのがカルティエで言えばサントスなのである。
はっきり言ってどちらが好きか決めることは出来ないが、どちらか一本しか選べないというのであればカルティエの方が僕好みであると言える。